『自分の中に毒を持て』岡本太郎

読書

”モノマネ”人間には何も見えない

システムの中で安全に生活することばかり考え、危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。

己を殺す決意と情熱をもって危険に対面し、生き抜かなければならない。

一度死んだ人間になれ

自分はそういう人間だ。駄目なんだ、と平気で、ストレートに認めること。

そんな気の弱いことでどうする…とクヨクヨしても、気は強くならない。

だから、むしろ自分は弱いんだと思って、強くなろうとジタバタしない方がいい。

諦めるんではなく、気が弱いんだと思ってしまうんだ。

 

自分自身が自覚する以前に、すでにまわりが自分を批判し、決めつけて来る。頭がいい、悪い、運動能力がある、ない、顔がきれいだ、醜い、等々。あらゆることで。

圧倒的な、巨大な社会の影だ。幼いときのみずみずしい自由感は次第に窒息させられて、世間一般の考えるとおりに考え、みんなのじゃべるようなしゃべり方をし、そういうことにも気づかないほど、常識どおりの枠の中におさまってしまうのだ。

いわゆる「大人」。

エゴ人間のしあわせ感覚

ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。ぼくはその代わりに”歓喜”という言葉を使う。

一見豊かになっているのに、ウツ病の人がふえているという。自殺者も多い。
僕は当然だと思う。何も芸術家や文学者だけが行きづまっているわけじゃない。世の中の誰もが行きづまっているのだ。

他人と同じに生きてると自己嫌悪に陥るだけ

”爆発”発想法

何ごとについても惰性的であり、危険を避け、無難であることが美徳とされているのが日本一般のモラルだ。

誰でもが、あえて出る杭になる決意をしなければ、時代はひらかれない。…

この現代社会、システムに抑え込まれてしまった状況の中で、生きる人間の誇りをとりもどすには、打ちくだかれることを恐れず、ひたすら自分を純粋に突き出すほかはないのである。

人間はすべて矛盾のなかに生きている。だから矛盾に絶望してしまったら負け、落ちこむのだ。
それよりも、矛盾のなかで面白く生きようと、発想を転換することはできないだろうか。

文明社会の成人式は、あまりにも形式的で、甘すぎる。はたちにもなれば、もう腐った大人だ。

純粋に生きるための不幸こそ、ほんとうの生きがいなのだと覚悟を決めるほかない。

若者は解放されている。このように若さが自由感を与えらてれいる時代は、かつてなかったろう。しかし、またそれゆえに、逆に自失していることも確かだ。一応、身ぎれいだし、表情は明るい。が、その内面のむなしさも、おおいがたいのだ。

「冒険」ーそれは甘えだ。

やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ。

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